『玉蘭』桐野夏生

玉蘭

玉蘭

 やっぱり桐野夏生はよいです。風景も香りもぐいぐい書き込んで、その時代、その場面に私を連れて行ってくれます。こういう濃い描写、がっしりした構成は引き込まれます。ちょっとずつ読みたいのに、先が気になって結局一気に読んでしまいました。今日は早寝しなくては。いろいろ内容に絡んで書いてしまうと思うのでご注意を。

 表紙からするに、租界時代の上海の話だと思っていたのですが、現代から話が始まります。しかもいきなり幽霊が出てきてびっくり!桐野夏生の小説って、主人公の夫の葬式だったり、ダチョウとジャングルを走ってたり、えっ!?何が始まるの!?的オープニングが多いなぁ。
 読む前に話の展開を知りたくないので、文庫本の裏書きや書評は読まないようにする方で、もちろん目次もほとんど見ません。本によっては「哀しい別れ」とか、筋がだいたい分かるのあるもんね。でも、この本の目次はいい意味でこちらの予想を裏切ってくれます(って読んでるやんか、目次)。だって、ハリーポッターなんか、前作もそうだったけど、ポスターや書店ポップ読んだだけで、もうがっくりくるようなネタバレだもんねぇ。この目次はすごいわ。
 そう、目次からは想像もつかない話の展開で、主人公だと思っていたあの女性は主人公ではなかったのね、と読み終わってやっとはっと気づいたりします。最初の方に出てきて、最後まで話を引っ張ってる質(ただし)のこの言葉がずーっと胸に響いていました。

「僕にとってはどこだって、初めて来た場所は世界の果てであることは間違いなかった。新しい場所に来たから、新しい世界が始まるなんて幻想だ。新しい場所に踏み入れるってことは、良く知っている世界の、実は最果ての地に今いるっていうことなんだ。違うかな」

 状況は違うけど、アヤコの「がけっぷち」と似てる感じ。
 
 有子と松村と浪子と質が交錯するので、読み終わると、第六章の「幽霊」は、松村が見た幽霊じゃなくて、有子の頭の中で造られた、有子にとってそう有って欲しい松村の幽霊(というか松村に対する妄想)のような気がします。それにしても有子さん、今頃はもっとしっかり最果てと対決してるかしら。「壊れた、壊れた」って逃げてちゃだめですよ。私もそうだけど。