『先生はえらい』内田樹

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

 「はじめに」からちょっと引用しますね。

…「いい先生」というのはみなさんが出会う前にあらかじめ存在するのではないからです。あるいは「万人にとっての、いい先生」というものもまた存在しない、と申し上げた方がよろしいでしょうか。…(中略)…
 先生というのは、出会う以前であれば「偶然」と思えた出会いが、出会った後になったら「運命的必然」としか思えなくなるような人のことです。
 これが「先生」の定義です。

 ということで、「人間が誰かを『えらい』と思うのは、どういう場合か?」という「えらい」の現象学が始まるのです。

 私が大学に入った年にその大学に着任された先生がおられまして、その先生の目玉講義の初回には教室一杯の学生が集まりました。何回目かの講義中に、先生が「○○について興味があったら、私の研究室にいらっしゃい」とおっしゃいました。まだ一回生で、大学の先生の研究室なんて行ったことなかった私でしたが、勇気をふるって行ってみました。行ってはみたものの、ドアが閉まってたりして(大学の先生って毎日来てるわけじゃないし)、なかなかお会いできませんでした。講義をさぼったり、斜に構えたり、あんまり真面目な学生ではなかったのですが、このときは何故か、先生に会えるまでせっせと研究室に行ってはドアを叩き続けたのです。何度かしてやっと先生の在室中にノックすることができました。研究室の物をいろいろ見せてもらって(タイガー計算機とか)、大学院の講義にも混ぜてもらって、いろいろ教わりました(いえ、今でも教わっているわけですが…)。
 結局あのとき、着任したての先生で、講義にはわんさか学生が詰めかけてたのに、ノコノコと先生の研究室まで行ったのは私一人だったのです。卒業するまで、いえ、卒業してからも、先生にはいろいろ教わり、お世話になり続けております。今、当時の友だちに会うと「いい先生に出会えてラッキーだったよねー、pen-cileは。」って言われます。でも、あなた達だって先生の講義聴いてたし…。
 なので、この本の中で「先生」について述べられているとき、私は私の先生と自分の出会いや今までの関わり方を思い出し、深くうなずいたりちょっと笑ったりうなったりすることができました。
 中高生向けの新書です。でも、「いい先生に出会うためのハウツー本だ」と思ったら大変ですよ。なんせ、あの内田さんの本ですからね。