『鈍感力』渡辺淳一
- 作者: 渡辺淳一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/02/05
- メディア: 新書
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「あなたの後も予約が続いていますからね。2週間で返せますか?」
返しますとも。こないだからプリズンホテルシリーズ、どの巻も2週間足らずで返してるじゃないですか。
で、話題のこの本、あっという間に読める分量なんですけど結構時間がかかりました。なんせ、読み続けるのがしんどいのです。鈍感力でさらーっと読み進めないと大変。いちいちイライラ反論したくなったりしていると読了できません。『鈍感力』を読むことによって、自分の鈍感力が試されているのです。
もし、本文に対して「でもね…。」と考えたら、
「ほらほら、そんなことに目くじら立てる、それこそ鈍感力の足りない証拠ですよ。」と指摘されるんじゃないか、なるほど、なるほどと、うなずきながら読むべきなんじゃないか、と、読み方まで誘導する本、「裸の王様」のような本なのです。
しかし、鈍感力のなさを披露してしまいますが、渡辺さんのおっしゃる「したたかで鈍い鈍感力」ってなんでしょう?「私って鈍いから…」と言い訳して、したたかに世間を切り抜けろってことなのでしょうか。それって「鈍感力」じゃなくて、ただの「ずる賢さ」だよね。
だいたい、蚊にかまれて「刺された〜カユイーッ!」とボリボリ掻くA君より、かゆみも感じず平然としてるB君の方が肌が強くて健康だ、鈍いB君の方が優れている、なんて本当なのかな。アレルギーとか、蚊に刺されやすい体質ってありますよね。そんな持って生まれたものを例に挙げていきなり「鈍いのは優れている」「これからはしたたかな鈍感力が大切」と言われても、納得できないものがあります。それなら自分のいる鉄板がだんだん熱くなっていくのに気がつかず、自分の体温をそれに合わせて上げていってしまってミイラになっちゃう方が、「あちーーっ!」と大騒ぎするより、「鈍いから優れている」ことになってしまう。変温動物は偉いのか。
こういう???なたとえ話や解説が続くので、何ともいえない読み進みがたさがあります。
いちいちいってるときりがないのですが、まだまだ前半部分で出てくる「五感(視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚)が鋭すぎるのはマイナスで、鈍い方が大らかに長生きできる」、と言うのも、それだけ聞くと「まあ、それもありかな」と思うのですが、その解説がなんともなぁ…
視覚の鈍感力について、渡辺さんはこう言います。
…視力。これがよすぎては、さまざまな問題がおきてきます。…見えすぎて、1.5から2.0近くもあると、逆にものが見えすぎる弊害がおきてきます。
……望遠鏡のない時代ならともかく、いまではとくべつ有利になることはほとんどありません。それどころか、見えすぎて困ることがおきてきます。
実際、わたしの友人で、視力が1.5以上ある人がいましたが、「見えすぎて、疲れる」と嘆いていました。
なにごとも、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、見えすぎるのは精神の衛生面でもマイナスです。
これに、視力が弱いとメガネとかで矯正できるけど、視力のよすぎる人にはそういうツールもないから、視力は弱めの方がいいんだ、と続くのですが…
視力がいい(視力に鈍感力がない)ことの欠点を友人の一言で終わらせてしまっていいのでしょうか?見えすぎるとどんなときに疲れるのか分からないし、ラーメンや満員電車で曇るメガネに苦労してて、視力のよかった子どものころが懐かしい私には全然説得力がないのですが…
味覚も「あまり鋭すぎては問題です。」とはっきり書かれています。しかし、
むろん味に鈍い人もいますが、こちらはそれなりに美味しいものを食べていれば、自然によくなってくるものです。
ですって。味に鈍い人、って蚊にさされても騒がない人と同じくらい「素晴らしい鈍感力」の持ち主だと思うのですが、なぜ「自然によくなって」いかなければならないんでしょう?
鈍感力を駆使できないと、こんなふうに読みながら立ち止まってしまうところが多々あって、「いかんなぁ、これしきの本もスラッと読めないなんて。鈍感力がほしいなぁ」と思ってしまいます。うまくできた本です。
ところで、この本を読んだ後、会議がありました。
かなりしんどい発言に出会ったりしたのですが、「鈍感力、鈍感力」と唱え、無事、やり過ごすことができました。使いたいときに唱え、頼れるのが「鈍感力」のいいところです。「そんないい加減な!」と怒られそうですが、そんないい加減な使い方ができるのが「鈍感力」なのです。