女王の教室

 ビデオをやっと見ました。少し感想を… とにかく、予告編はアテにしてはいけないということを学習しなければなりません。
 授業参観のシーンで、
「予告で出てきた、紫のスーツを来た「虐待ですよ」という女性はだれのおかーさんなんだ?」と、必死で目を凝らしていたのは私だけではないはず…教育委員会から来た人だったのですね。だから「刺客」なんですね。テレビ欄のタイトルはいつもながらおおげさだなぁ。
 パソコンのデータを消すシーン、マックでコマンドライン使えるぐらいの子なんだから、「データはバックアップ取ってあるはず」ぐらい考えればいいのに…予告を見ているとマヤの名前をかたってどこかに書き込むとか(だからマヤのパソコンを使っていると思っていた)、もっとハッカーなことをすると思っていました。
 そして、「あなたはここにいたんですか」という男性。天童先生のお父さんで教育関係者だったのですね。でも、それ以上のことは分からない、マヤとのつながりがわからない…これじゃ予告から全然話が進んでいないのと同じではないですか。
 なんか今回は、時間(季節)が進んだ割には、内容が薄いなあと感じました。
 確かに面談、参観を通して親子関係は劇的に変わってきます。しかし、変わるまでに時間かかりすぎ。参観に至る前に、運動会も修学旅行も済んでしまっているのですよ。そんなに長期にわたってわだかまりを抱え続けさせ、盛り上がりの欠けた行事を「消化」させるなんて、クラス運営としてまずいのでは。それに、あの授業参観のシーンはあまりにも感動を誘うための作り話くさくて、入り込めませんでした。私って冷たいのかな、「せかちゅう」も泣けなかったし。多分、今回は児童と先生があんまり戦っていないからつまらなかったのだと思います。もっとこわいマヤが見たかった…。
 結局「あくつ先生は本当はいい先生なんだ」とみんなが気づいて、このドラマは終わるんでしょう。
 そして、そのことに気づいたみんなの脳裏には、怖い顔で一直線に歩く先生、ナイフを取り上げる先生、踊る先生、体操服の先生…がどんどんフラッシュバック。あくつ先生は教室で、みんなの目の前で崩れ落ち…「先生!」「先生!」とみんなが取り囲む中、教頭先生が「実は、あくつ先生は…」と先生の過去を語り、「それでも私たちは先生が好きなんです!」と和美が叫び、その声を聞きながら、目を閉じ静かにほほえむあくつ先生の目尻から涙がつーっと流れる…こんな感じで終わるかな。このあと卒業式でしょうが、先生は写真の中かな、いや、それは天海ゆうきさんだけに殺したりはしないかな。死んだら続編が作れないし。できれば和解するという展開よりは、「先生との戦いはまだこれからだ」とたくましく卒業して、和美には先生になってもらいたい…
 ところで、天童先生の「開き直り」(こう呼びたくなる)、少し違うような気がします。「友達のように何でも話せる先生」ではなく「友達」になりたいって…やはり、先生と生徒には距離が必要だと思います。
 生活指導面ではどうかわからないけど、授業中は伝えたり教えたりしなきゃならない内容をまず持っているのは先生です。まず先生の話や問題提起を聞くところから、理解や新しい疑問、解決したいと思う気持ちが起こります。それを解決できるように導くのが先生の役目ですよね。友達になってしまうとそういう関係がうまくつかなくなってしまうのではないかな。また、友達だと「教える」気持ちが減りそう。児童も「教えてもらう」気持ちが減って、「むずかしいねー。わかんないよー。へへっ」でごまかしたりして…そうされても強く言えない先生になってしまいそう。ほら、「ドラゴン桜」の桜木先生なんかちゃんと距離とってるではないですか。児童はたくさん入るのですから、「友達」先生のノリについてくる和美みたいな子は少数派だと思いますよ。
 その「ドラゴン桜」、東大受験までお話進むかなぁ。がんばってるんだから合格させてあげてほしい… しかし、あの模試のシーン、昔を思い出して胃が痛くなりましたね。