『世界の中心で、愛をさけぶ』片山恭一

せかゅう

 図書館の新着本コーナーを見ていたら、たまたまありました。「これが話題のせかちゅうか…」と読んでみました。
 「なんでこんなに涙が出るんだろう。」って帯に太文字で書いてあったけど、なんでそんなにはやったのだろう?うーん、わからない…私、冷たいのかしら、涙でなかった。

 ドラマも映画も観ていませんが、確かに、この本、映像にすると綺麗だろうな、というのはわかりました。脚本化を思いついた人は偉い。時系列とかどうするのか考えるのも楽しそうだし。

 ストーリーも、舞台(電車の中、空港、無人島、アボリジニの聖地…)も揃って、おじいちゃんのエピソードまで登場させて、涙を誘うお膳立てはできているのに…どうして泣けないのでしょう。

 やっぱり朔太郎かな。言うことが観念的すぎて、理屈っぽくて、こんな男のどこに惚れるんだろう… 学級委員をしていて知的なことにしたいらしいけど、あんまり彼に魅力を感じない。
 墓を暴いたのはおじいさんだし、無人島に行ったのは竜之介がそそのかしたから、オーストラリアに行こうとしたのはアキの決断によって。行動力があるようでいて、回りに引っ張られて振りまわされて動いているんじゃないか。アキと出会ったのだって、担任の先生が学級委員にしたからだしね。
 それに、彼の目から見た文章だからしょうがないのだけど、彼の風体がわからないからか、いまいちイメージがわかないんだなぁ。存在を感じない。同じ一人称でも庄司薫ものにはついていけたのに…
 
 映像でどんな風に処理されたのかしらないけど、電車の中のバースデーケーキにはついていけなかった…やっぱり私、せかちゅう適齢期を過ぎているのかしら…

 しかし、なんで「はまぞう」にせかちゅうがないんだろう…