『日記をつける』荒川洋治

日記をつける (岩波アクティブ新書)

日記をつける (岩波アクティブ新書)

 そろそろ来年の手帳を決めたいところですが、その前になぜか日記の本。いろいろな人の日記の紹介、日記には何を書くか、日付の曜日の後は天気でしょ、と思ったら天気を書くのは日本人なんだよ〜とか、一日どのくらいの量を書くの、どんな文体で書くの、誰から目線で書くの……と「日記」をキーワードに何でもありの本。
 なんでもありで日記関連と言えば、中学の時、
「『私は毎日日記をつけます。』を英訳せよ。」という問題があって、
「I write a diary everyday.」と訳したら、英語の先生に
「なんや、お前、毎日"diary" "diary""diary"って呪文みたいに書くンか。『日記をつける』は"keep a diary"や。覚えとけ。」と嬉しそうに言われたのを思い出します。まずそれを授業で教えてくれなあかんやん、と思ったものだ(そうさ、今は教育長のあなたですよ、○○先生)。
 もう少し真面目に、日記の文体と言えば、私の文章というのは独り言のようで誰かに話しかけているようでなんか変なんだけど、そして大阪弁も平気で混ざるけど、これは別にブログだからでなくて、手で字を書く日記の時からずっとそうなのです。ブログは、最初、もう少し真面目に書こうとしたけど、すぐに挫折してこんな文体に。
 で、そのへんな文体の日記、中学からずっとつけていて、日記帳何十冊もたまっていたのに、大学3年の時に全部捨ててしまったのよ。ゴミ袋に入れてゴミに出してしまった……ああ、あれはもったいなかった。せめてもっと「そろそろ身の回りを整理しなくちゃ…」と真剣に思う年頃まで置いておいたらよかった…とずーーーっと後悔してます。だって、読み返して「あの頃は青かったな〜ぷぷー」っとかって自分を笑ってやりたいではないですか。捨てるくらいなら、あの日記で文体研究やればよかったのに(って私は文学者でも、文体研究家でも、文学部卒でもないです。念のため)。気分によってサインペンの色変えて、毎日毎日書いてたのに。ああ、悔しい。
 悔しいから、今から日記書こう〜、って、このところ毎年のように三年連用日記とか買ってみるのですが何だか続かない…あの頃と毎日の刺激が違うのかねぇ。なんか今日の文体は私らしくないのでこの辺で。
 でもところで少し話は戻りますが、こういう独り言+誰かに話しかけ文体は日記の文体ではどうやら破格のようです。この本を読むと。