『山びこ学校』無着成恭

山びこ学校 (岩波文庫)

山びこ学校 (岩波文庫)

 知る人ぞ知るロングセラーで、岩波文庫に入ってやれやれ、落ち着いた、という感じでしょうか。
 「綴り方」って「作文」の戦前までの呼び方だと単純に思っていたのですが、最近、戦後教育に関する論文を読んでいましたら(きちんとした題を忘れしてしまいました。また今度)、戦後すぐに、朝日新聞や読売新聞の社説に、「『作文』か『綴り方』か、現場に混乱…」みたいな社説があって、「綴り方」は国語か社会か、みたいな論争があったと書かれていました。
「綴り方」と「作文」は別物なのか!
とびっくりしたのですが、もう少し読み進めると「北海道綴り方事件」という言葉が。北海道で綴り方に関する事件があったの?どんな事件?と検索し、『銃口』にたどり着きました(結局、『銃口』は小説そのものより解説の方が勉強になったかも。なんか説教くさい感じがして本編は途中でやめたくなったときもありました)。
 そして、「生活綴方」の方は、この『山びこ学校』がなんといっても代表作、ということで、こちらも読みました。
 確かに、自分たちが習った作文と、「山びこ学校」の生活綴方は別物でした。生活綴り方は社会や自分たちの生活をすごくしっかり見つめている、というか、「どうしてこんなに貧乏なんだ」「どうして楽にならないんだ」をぐぐっとにらみつけている感じ。それに本当に子どもなのによく働いているし、気候は厳しいし、読んでいて、よく働くなぁ、こんな子ども時代を過ごす子もいたんだ、という驚きと感心で圧倒されてきます。なるほど、こういう作文をたくさん読んでいると、指導者を「事件」の首謀者にしたくなる人も出るのでしょう。「遠足に行った」「放課後野球をした」とかの、私らの作文とは大違いです(別に遠足が劣ってるわけではないと思う。遠足に行ったことを「記録できる」のは大切なことだから)。
 よく働いて、つらい生活に耐えた「山びこ学校」のこどもたちがその後どうなったか、それも本がででいるので、今度はそれを読みたいと思っています。