『水曜の朝、午前三時』蓮見圭一

水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)

水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)

 解説を読んで、初めてこれがサイモン&ガーファンクルの曲と知りました。こんな無知で読んでよかったのかしら。聴いた方がいいのかな。でも今はジャニス・ジョプリンの方が聴きたい。
 久しぶりに大人のラブストーリーを読みました。本当に、人が死なない、追いかけられない、タイムスリップしない小説は久しぶりではないでしょうか。
 別にラブストーリーが読みたかった訳じゃなくて、昼休みに、森登美彦は京都を知らないとねぇ…という話をしているうちに、『太陽の塔』の舞台も千里じゃなくてやっぱり京都なのだ、という話になって、
「万博時代の大阪の熱気が伝わってくる小説と言えば、『水曜の朝、午前三時』があるよ。でもあれは最後がなぁ…」と一人が言い出して、
別の子が、「ストーリーの最後はともかく、最後の方にある文章のある部分にすごく感銘を受けた」と言うので、気になって貸してもらいました。
 歳が分かるけど、実は行きました、大阪万博。ほとんど何も覚えていませんが、人が多いのと、普通の遊園地とは違う建物や噴水の規模にびっくりしてた様な気がします。母と妹とで行ったのですが、多分、母も緊張かコーフンかしてたと思う。それが伝わってきてこっちも緊張しました。迷子札なんかつけられたら、「うわ、迷子になるような所なんだ〜」とびびってしまって、心から楽しめないって。
 その記憶が蘇るような、そしてもっと客観的な万博の再現にワクワクしました。コンパニオン(ホステスと呼ばれていたそうです)の視点からの万博観察なのも面白いし。
 主人公の直美には既視感があります。最近読んだ本に似たような人が出てきました。たばこやお酒に強くて、自分も強くて、感情を隠すことができなくて……電車の中で読んでいて、パタンと本を閉じるとその別キャラがふわーっと浮かんでくるのですが(ショートカットで、たばこを吸っていて、なぜかサイケなワンピースを着てます)、思い出そうとすると消えていくんです。だれだろ?告白体の、文末表現に過去形と現在形が混じる、あざとい感じが、これまた誰かに似ているような気がするのだけれど、誰なのか〜!
 ということで、今は、直美くらいの年齢生きると、直美レベルの経験をする女はたくさんいるだろうけど、それがあの時代であり、直美が直美であるから、説教くさい言葉達が心にしみてくるようにできているわけです。ラブストーリーのようでもあるけど、母が娘に説教しているようでもありますが、解説の池上冬樹氏に4回も「いい小説だ。」と書かせているのですから、読んでよかったです。雪と雨が効果的に使われていて、それも「いい小説だ」のうちと思います。雨降りすぎだって。
 職場の人の感銘を受けた部分はきっとこれだ!と読んでいるうちに思ったら、池上さんも引かれていたので間違いないと思います。明日聞いてみよう。
 直美のアクの強さは、私の中では佐野洋子さんや米原万里さんっぽいです。ってどんだけ知ってるのか、ってファンの人に怒られそうだけれど。
 ところで、この本を借りるきっかけになった昼休みの雑談のときは、万博だけじゃなくて、戦犯や原爆は隠されるって話とか、森登美彦と『鹿男あをによし』の人は区別がつかないねぇ、とか、本当にいろいろ話していました。今の職場の昼休みの雑談って、いつもこんな感じで、作家や映画や食べ物の話が混線して、話が脱線するようでいて、実は一本筋が通っていて、面白いです。みんな、人の話をよく聴いてるなぁと感心してしまいます。4月から混ぜてもらって、すっかり溶け込んでおります。本も食べるのも好きでよかったよ。