『氷壁』井上靖

氷壁 (新潮文庫)
 NHKで何度も何度も「氷壁」の予告編を見せらていたら、「どんな話だったかなぁ〜」とやたら気になってきて、実家から原作を持って帰ってきました。学生のころ好きだったのですよ、井上靖。結構文庫本揃っています。
 実家でパラパラとめくっていたら、母が「なつかしいねー」というので「どんな話か忘れたからちょっと読もうと思って…」というと、「ほれ、三角関係のややこしいやつやんか。」と、いきなり結末っぽいことを……
 確かに、昔読んだときは、もう少しストイックな物語だという印象を受けたのですが、今読むとかなりどろどろしています。読み手として私が年を取ったいろいろ経験を積んだということだな。どろどろしているけれど「純愛小説(あとで詳しく)」であります。でも、自然を相手にしている場面、特に小阪と奥津が穂高に昇る場面は文章のキレがよく、淡々としていて、そして緊張感がありました。
 少し横道にそれますが、昭和三十年代の話ですから、ちょっとびっくりすることもあります。

  • ヒロインが大正生まれ。
  • 車のことをいちいち「自動車」と書いている。
  • ストーカーという言葉がまだないので、ある男の一方的な、押しつけがましくて異様な行動が、「一途な性格」で片づけられている。
  • 流行歌を大きな声で歌うのははしたない(私も母に注意された覚えがあります)。
  • イヤリングは、いい年をした女がするものではない。
  • 電車でタバコが吸える。

 私はまだ違和感がないのだけれど、今の学生さん達が読んだら、ケータイを使わない社会に違和感を感じるのではないかしら。登場人物達、実にこまめに動きますから。
 それにしてもものすごく年齢差のある夫婦(27歳差!)について、どうして二人が結婚したかについては特に触れられていないのです。これくらい年齢差のある夫婦ってざらにいたと言うことなのでしょうか。
 解説(福田宏年)で、井上靖の恋愛小説のよさが述べられていました。

 井上の恋愛小説が多くの人に迎えられた原因は、井上の描く恋愛が常に、功利とか金銭とか名誉心などの世俗的要素を除外した場所で、純粋に恋愛感情そのものとして取り扱われているからである。従ってその恋愛は必然的に、男女が互いに愛を確認し合ったときに終わるという形を取る。これを私は「恋愛純粋培養」と呼んだことがあるが、これが読む者に一種の清潔さと爽涼の気を感じさせるのであろう。

 両思いになった瞬間が別れのとき…これが今はやりの「純愛」の原点なんですね。